1986-04-17 第104回国会 参議院 内閣委員会 第4号
昨年も、私は参考までに申し上げましたのは、満蒙開拓青少年義勇隊の問題について、これは援護法の対象ではありますけれども、国との使用関係、あるいは軍との雇用関係、そういうものが理論的にもあるいは実際的にも立証されるならば、これは援護法の対象にそれをしないという長年の議論がありました。私も多少の勉強をした結果、雇用関係あり、そういう認定をして改善した過去の例があるわけです。
昨年も、私は参考までに申し上げましたのは、満蒙開拓青少年義勇隊の問題について、これは援護法の対象ではありますけれども、国との使用関係、あるいは軍との雇用関係、そういうものが理論的にもあるいは実際的にも立証されるならば、これは援護法の対象にそれをしないという長年の議論がありました。私も多少の勉強をした結果、雇用関係あり、そういう認定をして改善した過去の例があるわけです。
たしかあれは昭和五十五年だと思いますけれども、旧満蒙開拓青少年義勇隊の処遇の問題に長年手をつけていたわけですが、最終的にどこで問題の解決の糸口が見つけられたかといいますと、これは国との使用関係は一切ありませんでしたということでその部分についての援護法の適用はなかったわけです。厚生省が長い間勉強されましたけれども使用関係はない、こういうことであったわけです。
○本岡昭次君 私が知る限りは、「満洲」と書いてあるが、あのときは満蒙開拓青少年義勇隊と言っておったように思うんです。十八年から十九年の中ごろぐらいまでは農耕に従事しておりましたが、昭和二十年になった段階では全部軍隊に徴用されて、そんな田んぼを耕しているような悠長な状況でないということで、ほとんど皆軍隊に徴用されています。私の父と一緒に行ったのもほとんど皆軍隊に行っているんですよね。
満蒙開拓青少年義勇隊、通称義勇軍と言っておりました。このときに、軍との雇用関係がありやなしやということが大いに議論になって、当時の厚生大臣は、国との雇用関係、軍との使用関係はありませんでしたと。一年間論争した結果、私が出しました資料に基づいたかどうかわかりませんけれども、結果として私の主張が全面的に認められて、援護法の中で適用がされた、こういういきさつが過去に残っているわけです。
旧満州国に服務した人たちの問題、それから旧満鉄派遣の職員あるいは既に一応の処理はされてはおりますけれども旧陸海軍の従軍看護婦の措置についての継続拡充、その他旧満蒙開拓青少年義勇隊の処遇の問題、いろいろあるわけです。
これは日清、日露の両戦役を経て、他国の領土であります満州において、日本が権益を拡大をし、事実上の領土化への明治政府以来の大方針の延長線の上で、いわゆる酷寒の辺境に送り込まれました満州開拓団、満州開拓団青少年義勇隊、これらの皆さんやその家族が、軍が存在をするのにもかかわりませず、その軍隊に守られることもなく、何の戦力も持たないままで国境線になだれ込んできたソ連軍や土着民の急襲に逃げ惑い、女性は彼らのなすがままにじゅうりんをされ
ただ、争いがございますのは、満蒙開拓青少年義勇隊というのは開拓団も含むのだというのが私どもが聞いている事柄でございます。厚生省の方は、義勇軍あるいは義勇隊と義勇隊開拓団とは違うのだ、こういうことで今日まで至っているわけでございます。
そこで、もう一つの認識、理解として十分に受けとめていただきたいと思いますのは、その昭和十六年、言いかえてみれば青少年義勇隊の第一期卒業生がいよいよ義勇隊開拓団として入植をする、その時期に、関東軍の移動が南の方に行われたという認識を十分持っていただきたいというふうに思うわけです。
そこで、去年の本委員会におきます本法案の採決に当たっての附帯決議で幾つか指摘をされておりますが、私どもが最も強く要求をした問題、たとえば満蒙開拓青少年義勇隊と呼んでおりましたけれども、義勇隊の段階まではどうにか救済ができた。
五六三 健康保険の改善等に関する請願(細 谷治嘉君紹介)(第七〇五号) 五六四 強制抑留者の実態調査に関する請願 (西岡武夫君紹介)(第七〇六号) 五六五 重度戦傷病者及び家族の援護に関す る請願(片岡清一君紹介)(第七三 三号) 五六六 難病対策の充実に関する請願(菅波 茂君紹介)(第七三五号) 五六七 旧満州開拓団・青少年義勇隊犠牲者
それでは、本日の請願日程中 国立腎センター設立に関する請願三十八件 差額ベッド料及び付添看護料の軽減に関する請願十四件 難病対策の充実に関する請願一件 旧満州開拓団・青少年義勇隊犠牲者の遺骨収集等に関する請願三件 重度心身障害児(者)の援護充実に関する請願一件 視覚障害者の雇用促進に関する請願一件 百歳長寿者に特別手当支給に関する請願八件 老齢者医療保障制度の改革に関する請願一件
サラ金規制に関する請願 第二四 国立腎センター設立に関する請願(十 六件) 第二五 国民健康保険組合療養給付費補助金の 増率等に関する請願(三十三件) 第二六 難病対策の充実に関する請願 第二七 医療と福祉の充実に関する請願 第二八 心身障害者の共同作業所助成等に関す る請願(七件) 第二九 重度戦傷病者と家族の援護に関する請 願(二件) 第三〇 元満州開拓団及び青少年義勇隊
環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律 の一部改正反対に関する請願(第五二号外六三 件) ○難病対策の充実に関する請願(第一〇四号) ○医療と福祉の充実に関する請願(第一五四号) ○心身障害者の共同作業所助成等に関する請願 (第一五五号外六件) ○医療保険制度の抜本改悪反対等に関する請願 (第一五六号) ○重度戦傷病者と家族の援護に関する請願(第一 九七号外一件) ○元満州開拓団及び青少年義勇隊
田中美智子君紹介)(第七三七号) 健康保険制度改悪反対等に関する請願(西宮弘 君紹介)(第七〇四号) 健康保険の改善等に関する請願(細谷治嘉君紹 介)(第七〇五号) 強制抑留者の実態調査に関する請願(西岡武夫 君紹介)(第七〇六号) 重度戦傷病者及び家族の援護に関する請願(片 岡清一君紹介)(第七三三号) 難病対策の充実に関する請願(菅波茂君紹介) (第七三五号) 旧満州開拓団・青少年義勇隊犠牲者
満蒙開拓青少年義勇隊も救ってきた。それでは日赤看護婦も救ってしかるべきだということでございまして、厚生省の対象にならぬはずはない、当然対象にしてしかるべきじゃないかと思うのですが、つまり軍人軍属として恩給法の適用を受けない人は援護法で救っているのです。
○受田委員 満蒙開拓青少年義勇隊、これは私、先国会でここで皆さんに提案しました。この方々をこの戦闘参加者等のいろいろな方法によって救うべきであるという提案をしまして、漸次これについて改善措置をとっておられるようです。社労委員会でも、これに対して満蒙青少年開拓団に対する附帯決議がつけられて、昨年私が質問した問題を附帯決議につけてもらっておる。この方々が何人あるか、ちょっと数字がわかりますか。
ちょうど大臣がお見えになりましたから申し上げるのでありますが、あの満州開拓青少年義勇隊の人が、役所の発見によって結果として十四年の閣議決定を十二年の時点までさかのぼらされました。そして救済をなさるという。私は全くこれと同じケースだと思うわけでありまして、先ほど御確認をいただきましたように、警防団があったということについても、もうすでに勅令で明確になっているものであります。
それでは、時間がありませんから、また満州開拓青少年義勇隊の問題に入りたいと思いますが、例の、昭和十二年の十一月三十日の閣議決定でありますけれども、これは紛れもなく閣議決定でありますから、こういうのをお出しになったのでありますが、その当時、日本の国としては、この閣議決定を所管する役所はどこだったのですか。
けさほど来、問題になっております満州開拓青少年義勇隊。私どもは実は年ごろがちょうどそういう時期でございまして、私の小学校の同級生が何人も満蒙開拓青少年義勇軍に行ったという、そういう非常に悲惨な体験を私もしているわけであります。この問題につきましては、昭和四十年代に入りまして、もう議論がずっと出てまいりました。本委員会でも、去年も、そして、ことしのきょうの委員会でも問題になりました。
○受田委員 この数字は余りにも少数でございまして、私ちょっと指摘さしてもらいたいのですが、この満州開拓青少年義勇隊の実態を厚生省は把握しておられるのですか。何人送出され、何人現地で死亡し、そのうちで、死亡した人の中で、これだけの二千八百七十二名、二千二百六十八名という死亡したり傷ついた人に出したというのか。実態の把握をしておられるのかどうか。
開拓青少年義勇隊に関する限り戦後は終わっていない。ひとつ渡辺大臣のもとにおいて、戦後の終わっていない義勇隊の諸君で亡くなった人とそして傷ついた人、これだけはまず守ってあげましょうや。
○受田委員 青少年義勇隊として現地へ送られたその皆さんが、軍事訓練期間、軍の支配下にあった期間を過ぎると開拓団に変わってきた、その青少年義勇隊の立場から見た開拓団が何人おるかということです。つまり、昭和十四年から訓練期間を経て開拓団に転移した。
先ほど来議論になっております満州開拓青少年義勇隊あるいは開拓団の問題についても、戦後未処理になっております大きな問題の一つだと思うわけでございますが、このことにつきましては、先ほど来同僚委員から指摘がございましたので、この附帯決議がなされるときに議論になりました問題、旧逓信雇用人の問題についてお伺いをしたいと思うわけです。
それから満豪開拓青少年義勇隊が今度援護法の関係で救われることになって、ちょうど関連するのでお尋ねするのですが、昭和十六年の大東亜戦争勃発から昭和二十年八月九日にソ連が入ってくるまでの間のものについては、一応軍事上の関係ということで救う道を開いておる。いままではそれが許されてなかった。その点は一歩前進したと私は思うのです。
○受田委員 私もう一つ、これは非常に切実な問題であるのですが、満州に勤務した満州開拓青少年義勇隊その他の職員は、ソ連が参戦して以後において特別の措置をすることになりました。ところが、その参戦の前日までに、訓練中などになくなった人は何ら処遇を受けておらぬ。
○政府委員(八巻淳之輔君) 非常に技術的なことになるわけでございますけれども、開拓指導員と申しましても、開拓団の指導員、つまり、こちらで申しますと、農業協同組合の指導員、ああいうような意味の畜産指導員とか、農地指導員とか、経営指導員とか、そういうような指導員、指導者という方々と、それから開拓青少年義勇隊の幹部、こちらでいえば実質的には青年学校の教諭、こういう立場に立たれて向こうへ渡られた方、二通りあるわけであります