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31件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1986-04-17 第104回国会 参議院 内閣委員会 第4号

昨年も、私は参考までに申し上げましたのは、満蒙開拓青少年義勇隊の問題について、これは援護法対象ではありますけれども、国との使用関係、あるいは軍との雇用関係、そういうものが理論的にもあるいは実際的にも立証されるならば、これは援護法対象にそれをしないという長年の議論がありました。私も多少の勉強をした結果、雇用関係あり、そういう認定をして改善した過去の例があるわけです。  

穐山篤

1985-05-21 第102回国会 参議院 内閣委員会 第11号

たしかあれは昭和五十五年だと思いますけれども、旧満蒙開拓青少年義勇隊処遇の問題に長年手をつけていたわけですが、最終的にどこで問題の解決の糸口が見つけられたかといいますと、これは国との使用関係は一切ありませんでしたということでその部分についての援護法適用はなかったわけです。厚生省が長い間勉強されましたけれども使用関係はない、こういうことであったわけです。

穐山篤

1984-08-07 第101回国会 参議院 社会労働委員会 第21号

本岡昭次君 私が知る限りは、「満洲」と書いてあるが、あのときは満蒙開拓青少年義勇隊と言っておったように思うんです。十八年から十九年の中ごろぐらいまでは農耕に従事しておりましたが、昭和二十年になった段階では全部軍隊に徴用されて、そんな田んぼを耕しているような悠長な状況でないということで、ほとんど皆軍隊に徴用されています。私の父と一緒に行ったのもほとんど皆軍隊に行っているんですよね。

本岡昭次

1984-05-08 第101回国会 参議院 内閣委員会 第10号

満蒙開拓青少年義勇隊、通称義勇軍と言っておりました。このときに、軍との雇用関係がありやなしやということが大いに議論になって、当時の厚生大臣は、国との雇用関係、軍との使用関係はありませんでしたと。一年間論争した結果、私が出しました資料に基づいたかどうかわかりませんけれども、結果として私の主張が全面的に認められて、援護法の中で適用がされた、こういういきさつが過去に残っているわけです。  

穐山篤

1982-05-11 第96回国会 参議院 社会労働委員会 第13号

これは日清日露の両戦役を経て、他国の領土であります満州において、日本が権益を拡大をし、事実上の領土化への明治政府以来の大方針の延長線の上で、いわゆる酷寒の辺境に送り込まれました満州開拓団満州開拓団青少年義勇隊これらの皆さんやその家族が、軍が存在をするのにもかかわりませず、その軍隊に守られることもなく、何の戦力も持たないままで国境線になだれ込んできたソ連軍土着民の急襲に逃げ惑い、女性は彼らのなすがままにじゅうりんをされ

山田耕三郎

1978-10-20 第85回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

五六三 健康保険改善等に関する請願(細       谷治嘉紹介)(第七〇五号)   五六四 強制抑留者実態調査に関する請願       (西岡武夫紹介)(第七〇六号)   五六五 重度戦傷病者及び家族援護に関す       る請願片岡清一紹介)(第七三       三号)   五六六 難病対策充実に関する請願菅波       茂君紹介)(第七三五号)   五六七 旧満州開拓団青少年義勇隊犠牲者

会議録情報

1978-10-20 第85回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

それでは、本日の請願日程中  国立腎センター設立に関する請願三十八件  差額ベッド料及び付添看護料の軽減に関する請願十四件  難病対策充実に関する請願一件  旧満州開拓団青少年義勇隊犠牲者遺骨収集等に関する請願三件  重度心身障害児(者)の援護充実に関する請願一件  視覚障害者雇用促進に関する請願一件  百歳長寿者特別手当支給に関する請願八件  老齢者医療保障制度の改革に関する請願一件  

木野晴夫

1978-10-20 第85回国会 参議院 本会議 第7号

サラ金規制に関する請願  第二四 国立腎センター設立に関する請願(十   六件)  第二五 国民健康保険組合療養給付費補助金の   増率等に関する請願(三十三件)  第二六 難病対策充実に関する請願  第二七 医療福祉充実に関する請願  第二八 心身障害者共同作業所助成等に関す   る請願(七件)  第二九 重度戦傷病者家族援護に関する請   願(二件)  第三〇 元満州開拓団及び青少年義勇隊

会議録情報

1978-10-19 第85回国会 参議院 社会労働委員会 第2号

環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律  の一部改正反対に関する請願(第五二号外六三  件) ○難病対策充実に関する請願(第一〇四号) ○医療福祉充実に関する請願(第一五四号) ○心身障害者共同作業所助成等に関する請願  (第一五五号外六件) ○医療保険制度抜本改悪反対等に関する請願  (第一五六号) ○重度戦傷病者家族援護に関する請願(第一  九七号外一件) ○元満州開拓団及び青少年義勇隊

会議録情報

1978-10-13 第85回国会 衆議院 社会労働委員会 第2号

田中美智子紹介)(第七三七号)  健康保険制度改悪反対等に関する請願西宮弘  君紹介)(第七〇四号)  健康保険改善等に関する請願細谷治嘉君紹  介)(第七〇五号)  強制抑留者実態調査に関する請願西岡武夫  君紹介)(第七〇六号)  重度戦傷病者及び家族援護に関する請願(片  岡清一紹介)(第七三三号)  難病対策充実に関する請願菅波茂紹介)  (第七三五号)  旧満州開拓団青少年義勇隊犠牲者

会議録情報

1978-04-18 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

受田委員 満蒙開拓青少年義勇隊これは私、先国会でここで皆さんに提案しました。この方々をこの戦闘参加者等のいろいろな方法によって救うべきであるという提案をしまして、漸次これについて改善措置をとっておられるようです。社労委員会でも、これに対して満蒙青少年開拓団に対する附帯決議がつけられて、昨年私が質問した問題を附帯決議につけてもらっておる。この方々が何人あるか、ちょっと数字がわかりますか。

受田新吉

1978-03-17 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

ちょうど大臣がお見えになりましたから申し上げるのでありますが、あの満州開拓青少年義勇隊の人が、役所の発見によって結果として十四年の閣議決定を十二年の時点までさかのぼらされました。そして救済をなさるという。私は全くこれと同じケースだと思うわけでありまして、先ほど御確認をいただきましたように、警防団があったということについても、もうすでに勅令で明確になっているものであります。

森井忠良

1978-03-17 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

それでは、時間がありませんから、また満州開拓青少年義勇隊の問題に入りたいと思いますが、例の、昭和十二年の十一月三十日の閣議決定でありますけれども、これは紛れもなく閣議決定でありますから、こういうのをお出しになったのでありますが、その当時、日本の国としては、この閣議決定を所管する役所はどこだったのですか。

森井忠良

1978-03-17 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

けさほど来、問題になっております満州開拓青少年義勇隊どもは実は年ごろがちょうどそういう時期でございまして、私の小学校の同級生が何人も満蒙開拓青少年義勇軍に行ったという、そういう非常に悲惨な体験を私もしているわけであります。この問題につきましては、昭和四十年代に入りまして、もう議論がずっと出てまいりました。本委員会でも、去年も、そして、ことしのきょうの委員会でも問題になりました。

森井忠良

1977-04-12 第80回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

受田委員 この数字は余りにも少数でございまして、私ちょっと指摘さしてもらいたいのですが、この満州開拓青少年義勇隊実態厚生省は把握しておられるのですか。何人送出され、何人現地で死亡し、そのうちで、死亡した人の中で、これだけの二千八百七十二名、二千二百六十八名という死亡したり傷ついた人に出したというのか。実態の把握をしておられるのかどうか。

受田新吉

1977-04-08 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号

先ほど来議論になっております満州開拓青少年義勇隊あるいは開拓団の問題についても、戦後未処理になっております大きな問題の一つだと思うわけでございますが、このことにつきましては、先ほど来同僚委員から指摘がございましたので、この附帯決議がなされるときに議論になりました問題、旧逓信雇用人の問題についてお伺いをしたいと思うわけです。  

森井忠良

1971-04-28 第65回国会 衆議院 内閣委員会 第19号

それから満豪開拓青少年義勇隊が今度援護法関係で救われることになって、ちょうど関連するのでお尋ねするのですが、昭和十六年の大東亜戦争勃発から昭和二十年八月九日にソ連が入ってくるまでの間のものについては、一応軍事上の関係ということで救う道を開いておる。いままではそれが許されてなかった。その点は一歩前進したと私は思うのです。

受田新吉

1963-06-20 第43回国会 参議院 内閣委員会 第26号

政府委員八巻淳之輔君) 非常に技術的なことになるわけでございますけれども開拓指導員と申しましても、開拓団指導員、つまり、こちらで申しますと、農業協同組合指導員、ああいうような意味の畜産指導員とか、農地指導員とか、経営指導員とか、そういうような指導員指導者という方々と、それから開拓青少年義勇隊の幹部、こちらでいえば実質的には青年学校の教諭、こういう立場に立たれて向こうへ渡られた方、二通りあるわけであります

八巻淳之輔

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